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2021年10月3日読書記録

映画「生きものの記録」を観て、健康について考えてみた

観終わってから色々考えたので、ひっさびさに映画レビュー。

「生きものの記録」
黒澤明監督の映画。

まずは簡単にあらすじ(Google先生に任せます)。
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町工場を経営する財産家・中島喜一は突然、原水爆とその放射能に対して強い恐怖を抱くようになり、地球上で唯一安全と思われる南米ブラジルへの親類縁者全員の移住を計画する。 しかし、このあまりにも突拍子もない行動に対し、現実の生活が脅かされると感じた家族は喜一を準禁治産者として認めてもらうため裁判にかけるのだった。(引用:Yahoo!映画)
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自分は正常だと思ってるお父さん(喜一)と、
お父さんを異常だと思っている家族、
という構図。

「健康不安の社会学」という本で上杉正幸さんは、現代の健康を個人的基準(x軸)と社会的基準(y軸)とで4分類に分けている(画像参照)。

お父さんの状態をこの分類に当てはめると、
分類の中の左下に位置する。

つまり、
社会的には異常だが(家族からしたら理解できない)、
個人としては健康だと思っている状態。

お父さんは家族から異常者として見られ、家族と裁判で争うことになるんだけど、結果負ける。
そしてお父さんはそのまま精神病院へ送られる。

お父さんは最後まで自分が正しいと思う行動を貫いた。
結果はどうあれ、社会基準(家族や周囲の声)に合わせることなく、最後まで自分の価値観に従って行動した。

ラストシーンの精神科医の言葉が心に残る。

「この患者を見ていると不安になる。狂っているのはこの患者なのか、こんな時世に正気でいられるわれわれがおかしいのか」

***

これと対比で出したい映画が、レオナルドディカプリオ主演の「シャッターアイランド」。

ディカプリオ演じる主人公のテディはお父さんと全く同じ境遇にいる。

テディ自身は精神疾患を患っている。

社会的な健康基準に照らすと異常者。
けど本人は自分のことを健常だと思っている。

テディは映画のラストで自分の症状や現状を周囲から突き付けられる。
社会と自分の認識のギャップを痛感させられる。

そして最後、意味深なセリフを残して死(ロボトミー手術)へと向かっていく。

「どっちがマシかな?怪物のまま生きるか、善人として死ぬか」

これってテディは自分の価値観を殺して、社会基準に迎合したということだと僕は捉えた。
「生きものの記録」のお父さんとは真逆の選択。

この2つの映画を観て、僕が考えた問い。
「健康が目的化している現代において、どうすれば幸せに生きることができるのか」

問いに対する結論。
「健康をあくまで手段として捉え直し、自分の生きる意味(自分がどう生きたいのか)を見出し、それを実現する。」

生きる意味を見出すのって簡単ではないから、見出すためのコンパスとして自分の価値観を持つ必要がある。

価値観は自分の中に眠っていて、
自分を掘り下げる方法は沢山ある。

日記を書いて自分と向き合い続けるのも1つだし、ストレングスファインダーみたいな質問に答えていくだけで自己分析ができるツールもある。

自分の価値観を明確にし、それに従い、生きる意味を見出す。
例え自分が社会的な健康基準を下回っていたとしても、自分の生きる意味を持ち、それを実現できていれば幸せなんじゃないか。

これが現時点での僕の答え。

生きものの記録、シャッターアイランド、どっちも最後はバッドエンドだったけど、現実世界では全員がハッピーエンドになるような生き方を模索したい。

殴り書き状態だけど、
編集だるいのでこのままupしまっす(´ー`)

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