こんにちは。
花火がこれまで歩んできた道のりについて書くシリーズ。
久々の更新になってしまいました。
前回は大阪の訪問看護ステーションへ転職し、一番最初に担当させていただいたご利用者の話をしました。
今回は、充実感の裏側で少しずつ心が削れていった、当時の変化について触れたいと思います。
▼順調にご利用者は増えていった
立ち上げ時は0件だった訪問件数も、挨拶周りの甲斐もあり、順調に担当数は増えていった。
立ち上がりこそ看護師や理学療法士の枠が埋まるのが早かったが、言語聴覚士は僕だけだったということもあり、すぐに枠は埋まっていった。
訪問は1日6~7件ほど。
ちょうどいい訪問件数で、訪問リハの面白さを実感するとともに、病院ではできなかった関わり方にやりがいを感じていた。
病院では機能改善を図り、退院に向けて食事指導して終わりだった。
在宅になると、どうすればもっと住み慣れた家で食事という楽しみを継続することができるか、という視点の重要性を痛感した。
リスク管理はもちろん大事だが、その人らしさの尊重。
諦めていた奥様の食事を食べれるようになったご利用者の笑顔は今でも思い出すことがある。
▼忙しくなりすぎて気持ちの限界に
ちょうどこの頃からリーダーを任されるようになった。
リーダー自体が初めての経験だった。
1日フルで訪問しながらの各店舗の数値管理やマネジメント業務。
リーダーMTGへの参加。
かなり忙しくなってきたが、同時に成長も実感していた。
当時の会社はインセンティブ制をとっており、訪問件数を増やせば増やすほど自分の給与が上がっていく設計だった。
しかもそれが結構大きな金額だったので(今思うとマジで大きかった..)、自然と自分の訪問件数を1日8件、9件と増やしていくようになった。
毎日朝9:00から夕方18:00までびっしりの訪問スケジュール。時にははみ出して19:00を過ぎることもザラ。
そこから訪問記録や次回訪問の準備、そしてリーダー業務。
始発5:00に出社し、終電まで残ることも多々あった。
最初はなんとか回せていたが、これが何ヶ月も続くと、色んなとこに軋みがでてきた。
最初の軋みは僕の気持ちの部分。
スケジュールがギチギチすぎて、次の訪問への移動時間が10分とか。
なので1分でもその家を出るのが遅れると間に合わない。
40分のリハビリが終わったら1分も無駄な時間を過ごすことなくご利用者の家を出る。
最後、ご利用者やご家族が「あのっ…」ともう少し話したそうでも、 「すみません、また来週伺いますね」と後ろ髪を引かれながら次の訪問へ向かう。
訪問リハを始めてすぐのころはご利用者も少なく、1人1人の笑顔にたくさん触れることができていた。
それがいつの間にかそれに気付く余裕もなくなり、 “ただ数をこなす”ことがすべてになっていた。
そんなベルトコンベアのような毎日に、なんのために訪問リハをしているのかわからなくなっていた。
けど、インセンティブという目の前の大きな”利”があり、今更訪問件数を下げることもできない。
人間一度得たものや生活水準をそう簡単には手放せないってことをこの時に知った。
花火でインセンティブ制を設けないのは、こういった僕の経験から。
お金が目的化すると本当に大切なことを見失ってしまう。
そんな目まぐるしい日々を続けていたら、ついにチームの方に軋みが出始めた。
その話はまた次回書こうと思う。
【花火ができるまで】シリーズは以下のリンクにまとめていきます。
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