こんにちは。
花火代表の出口陽一朗です。
~花火ができるまで~ というシリーズを声のブログで残していこうと思ってたけど、やっぱ文字がいいなとなり、改めて文字で振り返りをしていきます。
気が向けば音声も併用していくかもです。
僕の前職時代から振り返って、どのように花火が生まれ、成長してきたのか、振り返りながら書いてみたいと思います。
▼在宅医療に興味を持ちだした病院時代
大学を卒業し、言語聴覚士としての僕の最初の就職先は福岡市西区にある白十字病院。
明確な目的があって入ったわけではなく、地元が大川市という田舎だったので、とにかく福岡市内に出たかったという程度の理由。
それと白十字病院の募集が他より早く出ていたので、国家試験勉強に集中するために早く決めたいというのもあった。
けど、白十字病院を選んで本当に良かった。
今もう一度学生に戻って就職先を選び直せるとしてもここを選ぶ。
すごく勉強できる環境と、なにより周りの人がとにかく良かった。
この時期の話はまたどこかで書きたいと思う。
白十字病院は急性期、回復期、療養病棟、在宅と幅広い配属先があるが、僕が就職してから最初に配属されたのは急性期病棟だった。
急性期病棟はとにかく忙しく、ST1人あたり35人ほど担当を受け持ち、毎日4-5人は脳梗塞や脳出血で新しく運ばれてくる患者がいて、どんどん回転していく。最初の頃はついていくのに精いっぱいで、わけがわからなくなっていた。
急性期の患者のほとんどは全身状態が落ち着いたら回復期病棟の方へ移るのですが、比較的早期退院ができそうな方だと、急性期で退院調整を行うこともある。
そこで思ったことがあった。
嚥下障害でミキサー食や刻み食しか食べれない患者に対し、退院前に食事指導を行うのですが、数か月後に再入院してくる患者がちょこちょこいた。
患者本人とその家族へミキサー食の作り方や誤嚥性肺炎のリスク、家での注意点を十分に指導していたつもりだったが、誤嚥性肺炎を発症しての再入院。
そこで、再入院された患者とその家族に退院後の食事の様子を伺うと、「家に帰ってまでミキサー食は食べれん!」、「どれだけ作ってもミキサー食では主人が食べてくれないんです」といった声が聞けた。
この時に在宅の世界へ興味が湧いた。
退院した後の在宅の世界って、これまでは想像するのみでちゃんと目を向けたことがなかったけど、想像とは全然違う世界なのではないかと。
そこから訪問看護の業界に入り、自分で花火を創業することになるのだけど、続きはまた次回。
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花火ができるまでシリーズは以下のリンクにまとめていきます。
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