こんにちは。
花火がこれまで歩んできた道のりについて書くシリーズ。
第2回目の今回は病院から訪問看護に転職してからの話。
▼転職活動中にめっちゃ面白い会社を見つけた
前回の記事でも書いたけど、病院時代に在宅の世界に興味を持ち、すぐ転職活動を始めた。
大阪に住みたい!という願望が元々あって、転職するなら大阪と決めていた(この理由はまたどこかで書きます)。
大阪で訪問看護をの求人を調べてた時にzen placeという面白い企業を見つけた。
母体は東京。ヨガ・ピラティスを全国展開している企業。
そこが在宅医療部門もやっていて、大阪に新しく訪問看護を出店するということで、オープニングメンバーの求人。
健康を軸にした理念と、それを訪問看護とどうシナジー産んでいくのか。
めちゃくちゃ興味が湧き、迷わず応募した。
将来起業すると決めてたので、立ち上げから関われるという点も魅力的だった。
とんとん拍子で採用が決まり単身大阪へ。
▼何もかもが初めてで刺激的だった大阪
福岡から出るのが初めてで、大阪へ向かう飛行機ではワクワクが止まらなかった。
ミナミのど真ん中に住み(グリコの看板があるとこ)、職場は豊中の方だったので、毎日60分の電車通勤。
せっかく大阪に来たんだし、ど真ん中に住まなきゃ損!と思ってたから通勤時間はそれほど気にならなかった。
大阪はめっちゃ楽しかった。
関西弁は新鮮だし、裏難波へ立ち飲みに行くと、周りの席の人と仲良くなってどんどん輪が広がっていく。
大阪人は本音でぶつかってくるし、こっちのパーソナルスペースにずかずか入ってくる。それが居心地よくて、ついついこっちも本音で話すようになる。
難波を歩いてると路上のそこら中で人が寝ている。
最初は体調不良かと思って救急車呼んだ方がよくないか?って思っていたが、酔って寝てる人がほとんど。
1ヶ月もすればこの景色にも慣れてきた。
大阪はとにかく人が多い。
福岡天神の比じゃない。
ミナミの商店街なんて常に満員電車の中を歩いてるような感覚。
毎日が刺激的だった。
▼はじめての訪問看護
立ち上げの訪問看護ステーションだったからもちろん利用者は0。
何も整ってないし、誰も導いてくれないし、自分達の足でお客さんを獲得しなければ仕事がないという状況からのスタート。
これがめっちゃ面白かった。
一応企画職の人がいて、その人を中心にチーム全員で話し合いながらやることを決めていくんだけど、そもそも仕事がないんだから、サボろうと思えばいくらでもサボれる。実際サボってる人もいた。
でも逆に何も整ってないからこそ、やろうと思えばなんでもやれる。
営業活動
チラシ作成
マニュアル作り
営業リスト作成、分析
仕組み作り
マネジメント
リーダーシップ
手を挙げれば挙げるだけ経験させてもらえて成長ができた。
最初の3ヶ月は営業漬けの毎日だった。
8月の真夏。
自転車で汗だくになりながら、真っ黒に焼けながら、1日20件ほど地域のケアマネージャーや病院の連携室、施設に営業へ回る。
夕方事務所に帰ってきて、振り返りや明日の動きの確認。
皆であーでもないこーでもないって言いながら、少しずつ前に進む感覚が良かった。
将来自分で起業することをずっと考えていたから、オープニングメンバーとして立ち上げの流れやノウハウをここで学べた経験が今の花火に繋がっている。
▼最初の新規依頼での後悔
一番最初の新規依頼は今でも覚えている。
看護案件でもPT案件でもなく、僕が入ることになるST案件だった。
これ今でも後悔してるんだけど、
その依頼は逃してしまった。
入職して2日目で、まじで何も分からない状態。
家でどうやってリハビリするの?
リハ料金って口座引落し?
てか料金っていくら?
主治医との連携ってどうやるの?
そもそも契約って何?
イメージが出来なさ過ぎて、その時の管理者に「どうする?」って聞かれた時に渋ってしまい、「少し準備させてください」と答えた。
その30分後に「他のステーションにお願いすることにしたから白紙で」と先方から連絡がきた。
この時「いけます!」って即答しなかったことは今でも後悔してるし、スピード感の大切さを痛感した。
今でも仕事をする上でスピード感はめちゃくちゃ大事にしている。
不安でもどうなるかわからなくても、とりあえずやってみたらなんとかなる。
二の足を踏んでチャンスを逃す方がもったいない。
入職して最初の3ヶ月は営業活動中心でがむしゃらだったけど、少しずつ新規依頼を貰えるようになり、訪問に入る比率が増えていった。
最初の訪問の印象や面白さはまた次回の記事で書こうと思う。
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花火ができるまでシリーズは以下のリンクにまとめていきます。
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