タイトルに惹かれた本。
特攻隊の生き残りで、戦後スタンフォード大学に留学した哲学者、波多野一郎が書いた「イカの哲学」の思想から平和学を提唱する内容。
もしイカが人間とコミュニケーションが取れたら、という発想から世界平和を説く。
面白かった!
さっそく簡単に要約。
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登場人物の大助君は、イカの箱詰めのアルバイトをしている時に目の前の箱に詰められる大量のイカを見ながら空想する。
もしイカが言葉を話すことができたらなんというだろうか?
「なぜ俺たちにこんなことをするんだい?」
イカ達も元々は広い海の中で家族と生活していた。
そこに大きな網が投げ込まれ、人間に水揚げされ、急に自分達の生活が終わりを迎える。
この網って広島や長崎に落とされた原子爆弾と同じではないか?
なぜイカに対し、網を投げるという原子爆弾を落とすような行為ができるのだろうか。
それはイカの「実存」を認めてないから。
そのイカにも生活があり、子供がいて、待っている家族がいる。
こういったイカの実存を認識するとイカに対し原子爆弾である網を投げるなんて行為はできないだろう。
人間も同じ。
相手国の1人1人の生活や家族などの実存を認識すれば、原子爆弾のボタンを押すなんて行為は簡単にはできない。
世界平和の鍵はお互いに相手の実存を認め合うことではないか。
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すごく簡単にまとめたけど、もっと内容は深い。
この本を読んで僕が考えたことは、社員との向き合い方。
社員が増えるにつれて、社員1人1人への「実存」の認識ってどうしても薄くなってしまう。
少ない時は1人1人とコミュニケーションが取れて、お互いの生活やプライベート、趣味や感性などを深く知り合うことができる。
けど人が増えるとそれが物理的に難しくなる。
例えば1万人を超える大企業なんかは、その会社の社長は1万人全員のことを認識できているわけではない。
社員の実存を忘れ、「〇〇さん」ではなく、「看護師の1人」といった風に社員を記号としてみてしまう。
これが長時間労働などのブラック企業問題につながっていく気がする。
本書で言うところのイカとして社員をみている状態。
平気で網を投げることができる状態。
今花火はどんどん人が増えているけど、僕は社員をイカとしてみないか?
ちゃんと実存を認め合うことができているか?
うちはコミュニケーションを大切にする文化ができているけど、改めて大事にしていきたいと思った。
おしまい。